頑張ることと我慢すること。
いじめが自殺につながる日本の「空気」かつて国が主導するいじめを受けた人間の持論
このコラムは共感する点が多かった。
よく言われる日本の「ムラ社会の原理」は、子供の世界から既に始まっているのです。皆が一緒にあるために、自分に無理させてでも努力を強いるこの社会に、日本の子供たちは好きで入ったのではありません。大人が招き入れているのです。学校に行き、お友達と仲良くすることは至上命題であり、嫌な相手がいても、部活が自分に合わなくても、大人から「ともかく、頑張ってみなさい」と言葉をかけられる。
我慢させることの罪
「頑張る」は聞こえがいいのですが、僕にしてみれば要は「我慢する」ことです。教育は本来その子の個性を見いだし、それに合った環境を提供し、本来の才覚を伸ばすことにあります。だから孟子のお母さんは、3回も住居を引っ越して子供に合う環境を見つけ出したのです。
単純に
頑張る=我慢 →必要のないこと
と捉えてしまうと非常に危険な話になってしまうけど、納得はできる。
要は、
- 自分なりに頑張ったけど周囲の環境になじめない
- 外部的要因で自分が努力しても変えようがない環境(いじめ等)
という場合と、
- いやだからやらない、変える努力をしない
というのは別というのは前提としてないといけないかと思う。
ただやはり学校に行けなくなった、とか何か心に問題を抱えている、明らかに変化の兆しがあるという子供に対して、一緒に深く考えたり、子供の言葉を気軽に信じて大丈夫だろうと勝手に判断してしまうこと、「頑張れ」といい続けることは罪なことではないでしょうか。
子供って強いようで強くない、助けてばかりでは強くならないけど時には助けてあげないといけない、非常に繊細な時期なんですよね。辛い環境にもめげずに頑張ることも必要だけど、何か問題を抱えたままでは立ち向かえないんです。人からみれば本当にたいしたことない問題でも当人にとっては生死を分ける問題ということも多々あるでしょう。
大人でも健康を害してまでいやな職場で働き続け、ノイローゼになったり、自殺をしてしまう人も多いと聞きます。実際そこには嫌だと声を上げると職場の空気を害したり、仲間外れにされてしまう、という暗黙の流れのようなものがあるのでしょう。また会社を辞めようと思っても、人材の流動性があまりないため再就職できるか心配、職を辞めたこと事態がネガティブに捉えられてしまう、周囲の目が厳しくなる、といった懸念事項が目白押し・・・・そんな状況に陥るんだったら今のまま我慢しようか、となってしまうわけでしょう。
こんなことが増え続けると、日本の社会もなんだか住みにくくなってしまいますね。
これから社会はドンドン変ります。それは大人も子供も一緒でしょう。今までのような働き方、学び方、暮らし方は通用しなくなるかもしれません。そんなときちょっと冷静になって、周囲を見回す余裕を持てる人が一番適応できるのかもしれないですね。
子供はいいたいことをはっきり言いましょう。ただ、状況を怒鳴るだけでなく、自分で自分はどうしたいのか考えてみましょう。
大人は叱る前に相手に問いかけてみましょう。そのときに、相手の状況に自分を置くことを忘れずに。
自分はこう思うのだけどどうだろう?と提案をしてみましょう。
実際相手に気を使うのは大変ですが、ちょっとした心構えの違いで風通しのよいコミュニケーションができるのではないでしょうか。