眠れない日に新聞について考えてみた。
「新聞よんでますか?」
というのはよく学生に対して使われる質問だと思う。これは
「あなたは自分の身の回り以上の社会に対して興味・関心を持っていて、それらを知ろうとしていますか?」
というような意図を含めた質問なんだと思う*1。
だけれど最近ではその質問にはこの意図が十分に反映されていないように思う。
インターネットや携帯電話でニュースの類は大体読めるようになってきて、各新聞社も夜中でも更新するので情報の早さでは圧倒的にネット経由の方が早い。株価や為替情報もリアルタイムで確認できるし、RSSによって情報を送ってもくれるので新聞の強みはかなりの部分失われてきていると思う。さらにネットなら何社の記事も見ることができるし、海外の新聞社、放送局のものも簡単に比較できる。
さらに上のリンクにあるようにパソコン以上に身近で、いつでも見られるiPhone等の携帯端末に紙面がそのまま載るようになれば、紙媒体としての新聞は徐々にではあるけど確実に無くなる方向に進んでいるのではないかな、と考えてしまう。勿論紙媒体でパッケージとしての新聞の強みというのはあるだろうけど、メディアが多様化しテレビですら時間を奪われている中で四大メディアの中でも新聞は最も変わらなければ生き残れないんじゃないか。
「メディアは接触時間を奪い合っている。たばこを吸うなど、ちょっとした時にも見てもらうためには、ユーザーのポケットに飛び込まないと、勝負に負けてしまう」
産経新聞もこういった想いからiPhone用アプリによって紙面をそのまま無料配布しているようだ。
色々な変化と共に訪れた不況は様々なところで変わることを強要している。自分たちが変わることに積極的になれるかどうかが重要なのだろう。文字によって日々変化するような情報を与える媒体という意味で言えば、新聞は最も携帯やPC等と競合しているので、最も変わらなければならないのかもしれない。
*1:あなたは"どこの"新聞を読んでいますか、だとまた別の意味になるだろう